• 小泉篤宏『地面と床』インタビュー

    • 2013/09/04
    • インタビュー | 岩城京子

    岩城京子
    —— チェルフィッチュとは『現在地』(2012)に引き続き、二度目の共同作業となります。前作で「照明やセットのような音楽を目指していたとしたら、今回はもう少し「役者との距離を縮める音楽にしたかったと伺っています。プロセスの過程から、前作と具体的にどのように違うのか教えて下さい。

    小泉篤宏
    曲づくりの仕方から、根本的に違っています。まずいちばん大きな違いは、今回は場面やストーリーに対してではなく、役者さんそれぞれにオーダーメイドな音楽をつけたということ。例えば、この人は気を遣う人だな、テンションがフラットな人だな、音楽好きな人だな、とか。付き合いの長い人たちも多いので、その長い付き合いから得た情報を含めて、キャラクターに対してというよりも役者さんそれぞれに対して曲をつけていきました。

    岩城
    —— ブリュッセル公演に臨んで、役者個々に異なる楽想のモチーフがあしらわれていることがわかりました。とはいえ単純に音楽が役者に寄り添って作られているわけではなく、音が役者に対してぶつかったり、抗ったりしているシーンもある。役者と音楽の「関係性」をどう成立させたいと考えたのか。そのあたりのことについて少し伺えますか。

    小泉
    おっしゃるとおりで、単純に曲が役者に寄り添っているわけではありません。すごくケースバイケースで、曲によって狙っている関係性が異なります。例えば冒頭の青柳(いづみ)さんが出てくる場面は「音が降ってくる」イメージで曲を作り、その音をまったく気にしない風情で青柳さんがその場に立っているという関係性を成り立たせたいと思いました。次の安藤(真理)さんの場面は、彼女ならではの存在感に対して徐々に空気音のような音数を増やして当てていって、その音数の増加に反比例するかたちで安藤さんの存在感が半透明になっていくというようなイメージで作りました。だから曲によって、狙っている音楽と役者の距離感は随分違います。

    岩城
    —— 佐々木(幸子)さんの二つの場面からは、まるで言葉と音が喧嘩しているような印象を受けました。彼女の場面に関しては、どのような音と体の付き合いを目指したのでしょうか。

    小泉
    音と身体の間柄っていうものを考えたとき、いちばんやられがちなことってグルーヴを契機に関係性を作っていくことだと思うんです。僕としてはそれは避けたかったんですけど、まあ一カ所ぐらいあってもいいかなと思って。それで佐々木さんの最初の場面は、リズムなりグルーヴなりと役者さんを切り結ぶというネタを採用しました。だからドラムがつっかえたり戻ったりまた始まったりというリズムが流れるなか、佐々木さんが言葉をまくしたてていく、というその関係性の面白さを見せたいと思いました。後半の場面は、これはかなり頭でっかちなコンセプトで作った曲なんですけど。二つのドラムそれぞれにすごく細かいパターンを折り込んで、そのパターンのある一定のところに焦点を合わせることで、異なる絵が見えてくるという音作りをめざしました。つまりある一定のところに焦点を合わせると犬に見えるけど、違うところに合わせると全体が雲に見える、みたいな。さらに、そういう色々なパターンの一定箇所で佐々木さんの演技がたまに結合される。つまりどの接点で、音と役者が合うかで全体の聞こえ方が変わるというような、だまし絵みたいな曲を作りたいと思いました。

    岩城
    —— 男性陣にはどのような音楽をつけられたのでしょうか。

    小泉
    (山懸)太一さんは音楽にかなり詳しいので、リズミカルなものとか、いわゆる「音楽」っぽいものをのせちゃうと危険だなと思ったんです。だから太一さんに対しては、音と演技の関係性を構築するというより、逆に、音で身体に圧をかけていこうと思ったんです。それがうまく成功したかどうかは正直、いまでも分からないところがあります。でも彼の場面は、音と身体の関係性が半歩ぐらい先に進むことを目指しています。矢沢(誠)さんの場面は、最後の最後まで決まらなくて、実はブリュッセルに現地入りしてから音楽を差し替えたんです。彼の場面は、ある空気音みたいなものが機械的に一定期間流れて、沈黙があり、また流れてみたいな感じなんですけど。矢沢さんが淡々としゃべっている感じに、そういう空気音を置いてみたら、なんか官能的じゃないかなと思って(笑)。そういう感じを目指しました。

    岩城
    —— 劇中、あきらかに津波の音を連想させるような爆音のホワイトノイズが挿入されます。現在の日本の社会事象を含めて、岡田さんと具体的に「こういうことを表象する音が欲しい」と話し合うことはあったのでしょうか。

    小泉
    いえ、そういう具体的な指示はなにもありませんでした。そもそも岡田さんとは事前に、イメージをすり合わせるための話し合いのようなことさえしなかった。出来上がったものに対して「これはいい」「違う」という意見はもらったんですけど、事前に何か話し合うということはありませんでした。岡田さんとは、世代も一緒だし、話し合わなくてもシェアしている感覚がとても多いのかもしれません。とはいえ震災のことについては、それなりに話すことがありました。岡田さんは震災以後東京を離れ、自分は東京に住み続けて活動している。そのまったく異なる事情をふまえて、現状をどう思っているのかという話し合いはしました。ただ個人的に、震災の影響を音楽でダイレクトに表現する気は当面ありません。もちろん間接的に、音楽に染みこんできている影響というものはあるかもしれませんが、自覚的に震災に対しての音楽をなにか自分が作ったとしても……、それがいったい「なんなんだ」と。なにかそこに大きな意味があるとは思えないんです。

    岩城
    —— 演劇の舞台は、すでに視覚的なフレームが決定されています。つまりプロセニアムの枠があり、舞台美術があり、その固定化された絵のなかに後から音を乗せていく。その固定フレームは、小泉さんにとってどのようなメリットやデメリットがあったのでしょうか。

    小泉
    いまおっしゃられたことを聞いてはじめて思ったんですが、ぼくは逆に、音楽に比べて演劇のほうが自由度があるなと思いました。つまりバンドだと最初から最後まで、メンバーが同じ位置にいますよね。動かないで、楽器を弾いているわけですから。だけど舞台の場合は、役者さんが動いたりはけたりする。確かに舞台美術というフレームはあらかじめ決まっていますけど、役者さんのフォーメーションは場面ごとに変わる。ぼくは作曲をするとき、人間のフォーメーションみたいなものを図形として把握して、その型を音で表現することが多々あるので、場面ごとに図形が変わるのは自分にとってはむしろ良い刺激になって好都合です。

    岩城
    —— 5月の公開リハーサルでは舞台上で生演奏されていましたが、最終的には録音された音源が使われることになりました。「毎公演、生演奏したほうがいいのに」という意見も正直あったと思うのですが、小泉さんはそれについてはどう捉えているのでしょうか。

    小泉
    それは、どこを取ってどこを捨てるかという問題です。確かに、生演奏でやったときの評判が結構良くて、それで「生演奏で上演されないのは残念」とか言われたりもしたんですけど。でもそれって実は騙されていて、生演奏って、わりとしょうもないこともやってるんですよ。ただライブだと、音の存在感や、役者さんとの関係性をリアルタイムで作れるという長所によって、それでもそれなりに聞こえてしまう。ただ生演奏では、ブリュッセル公演で提示したような音のクオリティを生み出すことは不可能です。あそこまで音の大きさ、タイミング、精度を高めることはできない。だから、どちらを取るかなんですけど。自分としては、今回の作品に関しては録音でやったほうが、全然成果が大きいと思っています。今後、仮に役者さんのセリフがアドリブで毎回変わる、というような公演に音をつけることになったら、そのときは多分音楽もリアルタイムでやらなくちゃいけないですけど。今回はスクリプトが固定されてるわけですから、だったら音も固定化されていたほうがいいと思っています。

    岩城京子

    パフォーミングアーツ・ジャーナリスト。
    世界15国29都市で取材を行う。主な執筆先に、AERA、シアターガイド、新潮など。ローザス、ロメオ・カステルッチ、など来日公演プログラムへの寄稿も多数。ロンドン大学ゴールドスミス校演劇学部博士課程在籍。現在、東京とロンドンを拠点に和英両文で執筆活動を行う。

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