• 対談 池田扶美代 岡田利規

    • 2013/10/07 スカイプ取材
    • インタビュー | 岩城京子

    岩城京子
    —— まずは、あまり予備知識のない読者の方に、お二人がここで対談をしている理由をお伝えしたいと思います。『コンセプション』(天然文庫発行)という書籍でも、お二人は対談をなさっていますが、それ以前にもなにかアーティストとしてお互いに興味を持たれていたのでしょうか。お二人の接点を教えて下さい。

    岡田利規
    とりあえず出会いからお話ししますと、僕がブリュッセルで『三月の5日間』(2007年クンステンフェスティバル)を公演したときに、池田さんが観に来て下さって、それで初めてお話しをさせてもらったんです。

    池田扶美代
    私はそれまで日本の演劇をほぼ観たことがなくて、多分、最初に観た日本のお芝居がチェルフィッチュ。それから3〜4作はブリュッセルで岡田君の作品を観させてもらってますけど、日本のお客さんと一緒に観たことが一度もないから、日本で岡田君の作品がどう受け止められているかはじつは全然知らない。

    岡田
    僕もローザスの作品はいくつか観ていて、それで創作のある時期、ローザスにおける池田さんの佇まいみたいなものを参考にさせてもらっていたことがあるんです。どういうことかと言うとつまり、演出家としての僕には俳優にインストールしたい、ある方法論があるわけですけど。一時、俳優がその方法論にどれだけ忠実に従うかということと、どれだけ裏切って反抗するかということの、バランスに関心が向きはじめていたんです。そのときの僕は、俳優が従順に従ってくれるだけじゃなんだか物足りないというか、むしろ裏切って欲しいし、刃向かって欲しいし、その反抗を含めてこそ「俺の方法論」みたいなことを考えだしたんですね。そう考えはじめたとき、いちばん具体的なレファレンスになったのかローザスの池田さんだった。ローザスの踊りってすごく固有のスタイルを持っていて、それがダンサーのあいだで統一されているなと思えることが多いんですけど。なんかそのなかで池田さんだけがまわりに揃えるのでなく、闘っているな、と思えることが僕には時々ある。で、その池田さんのような感覚をどうしたら俳優に持たせられるんだろうと考えて、ここ3−4年、創作をつづけているところがあるんです。

    岩城
    —— 池田さんは、自覚的に、いま岡田さんが仰られたような「振付に反抗する意志」をローザスの舞台で持たれているのでしょうか。

    池田
    うーん、その話につなげるとするなら、私は2000年ぐらいから自分のなかでの踊りの構築法を少し変えているところはあるように思う。どういうことかっていうと、例えばAとBというポーズが振付家により与えられていたとして、その2点をどう繋ぐかということは私が考えていいこともあるわけ。そうしたらその2点がたとえ「立つ」「座る」というとても単純な動作であったとしても、最短距離でダイレクトに繋ぐだけじゃつまらない。もちろん一直線にやったほうが踊りとして気持ちがいいことはあるけれど、最近はどっちかというと、どれだけ不安定に行けるか、迂回できるか、歪めるか、曖昧化するか。つまりどれだけ時間軸をズラしていけるか、ということを考えるようにしてるんです。

    岩城
    —— グラーツのシュタイリシャー・ヘルブスト芸術祭で10月10日に初演される『amness』(振付・演出・出演/池田扶美代、山田うん)では、池田さんと山田うんさんの間で、創作のために480回程の「単語交換」がなされたと伺いました。少し例を挙げるなら「question」「行間」、「お経」「息継ぎ」、「バタフライ」「出来ない事」、「かもしれない」「コーヒー」、「腰」「モーション」、といった形で単語の連鎖が続いていきます。いまの話しにつなげるなら、本作ではこれらの単語が、A地点とB地点のポーズになるのでしょうか。

    池田
    いえ、そういうときもあるけれど、どちらかというと今回はA地点とB地点の単語そのものよりも、その間に生まれてくるもののほうが大切です。例えば「かばん」の反対側に「机」という単語がきたとき。大切なのは単語の意味ではなくて、その2つの単語がなぜコネクトされたのか、どういう発想でそれが繋がったのかということ。素直に「パパ」って書いて「ママ」って返すときもあれば、「パパ」って来たら「ぐうたら」って返すときもある。あるいは単純にそのときに飲みたいからという理由で「コーヒー」って書くときもある。本当にたくさんのイマジネーションが単語から広がっていて、そのスペースをどれだけ身体でも保有しつづけられるか、ってことを今回は大事にしてる。だから逆に言えば、本作では「私たちはこういうことが言いたいんですよ」っていうナラティブ(物語)を動きで断定的に伝えるということはしてないし、むしろそういうことはまっさきに避けたいとさえ思ってる。

    岩城
    —— チェルフィッチュの『地面と床』には、ある物語が存在しますよね。だけどやっぱり、言葉と身体が、直線的に結びついていない。池田さんの言葉を借りて説明するなら、単語と直接的に結びつかない動きを乗せることで、イマジネーションが広がるスペースが保たれている。

    岡田
    『地面と床』に関して言うなら、僕にとってナラティブは大事な要素です。ここは池田さんの『amness』との大きな違いです。ただ仰るように、その物語に体を沿わせようとは思っていない。でもそれは…、ここから先はあまり論理的に説明できないんですけど、逆にそのほうがお客さんに物語がまっすぐ届くと思っているからなんです。例えば今回の作品でいうなら、俳優の身体を僕の書いた言葉ではなくて、むしろサンガツの音楽に寄り添わせるとか。そうしたほうが、お客さんのなかで物語がよりクリアに浮彫になってくると思うんです。

    池田
    それは私も大賛成。今回の作品ではナラティブを表現する必要がないから、ちょっと方法論が違うわけだけど、でも例えば『Nine Finger』(2007)っていうナイジェリア系アメリカ人作家の戦争小説をもとに作品を創作したときには、ナラティブを伝える必要があったし、そのためには言葉と同じベタな動きをしても意味がなかった。「殺す」という言葉に、何かを刺すみたいな動きを乗せてもなんにもならない。むしろ関係ない動きのほうがいいかもしれない。

    岩城
    —— 最後に音楽に関して伺わせて下さい。『地面と床』と『amness』は、似た音楽的プロセスを経て創作されています。『地面〜』のオープンリハーサルはサンガツによる生演奏で上演され、ブリュッセル初演では録音音源が使用された。『amness』もグラーツではサックス奏者の生演奏が舞台上に乗り、横浜ではデジタル音源にあわせて踊られます。音楽が、ライブ演奏から録音音源に変わることで、パフォーマンスの質はどのように変化する・変化したと思われますか。

    池田
    私たちはリハーサル中、CDを使って練習していたんです。ずっとミュージシャンを横につけておく予算がないから。それでいま、初日まであと5日というところで初めてミュージシャンが現場に入って、ライブ演奏での稽古が始まったわけですけど、もうほぼ全部作り直しです。もちろん細かいダンスのボキャブラリーは作り直す必要はないですよ。でもトッカータはここに入れて、アダージオはこっちに入れて、という構成は全部変わった。それまで私とうんちゃんと二人で編んできたものを、三人で編みなおさなきゃいけないから大変です。できれば日本でも生演奏でやりたい。

    岡田
    僕らの場合は最初から、本番は録音でいくしかない、ということが分かっていたんです。でも作曲を担当したサンガツの小泉篤宏さんが、この作品に関しては録音でやったほうがいい、だいたい生演奏でやるとしょうもないことをやってもその場でいい感じに盛り上がっちゃったりして良くない、とかクールに言い続けてくれたので(笑)、僕もその判断をブレることなく信じることができました。でもいまの池田さんの話しを聞いていたら、生演奏でやってみたいなとも思えてきます。僕らの場合は、構成が全部変わることはないでしょうけど、でも多分、これは想像の範疇での発言ですけど、メロディ性が強い音楽の与える印象が強く変わってくるように思います。より強い意味を持って、前面に出てくるように思う。

    岩城
    —— ブリュッセル公演の『地面と床』は、音楽が「地」で俳優の体が「図」だったのでしょうか。あるいは、それが反転する場面もあったのでしょうか。

    岡田
    もしライブ演奏でやったとしたら、あの場では絶えず「地」と「図」が入れ替わっていたんですよ、って言うことができると思うんです。でも録音素材を使用した場合、そう言いきるのは難しい。つまり、どうしたって音が「地」になってしまうわけです。もちろんそれに抗い続けることもできますけど、でもそこにムキになって抗うより、あの作品では定まった「地」と「図」の関係性を受け入れたうえで、じゃあどうするか、ってことを考えるほうに重心を置いて創作していきました。

    池田
    演奏者の体が舞台上にあると、それだけでバランスが変わるからね。その難しさを考えると、録音された音楽の利点もあるよね。例えば舞台上で奏者が楽譜をめくったり、チューニングしたりしたら、それだけでお客さんの視線はそっちにいっちゃうから。そのリアリティを受け入れたうえで、作品のテンションを保ちつづけるのは大変。しかも私たちの場合は、サクソフォニストたちの体がやたら大きいから、なんだか私たちがコビトに見える(笑)。でもやっぱり、なんか空中に舞い上がってしまうような、鳥肌が立つようなバイブレーションの空間は生演奏でしか生まれない。日本で録音された音でやるときのことは、現時点では考えられないけど、でも多分、また全部バラして、全部作り直すと思う。ほぼ作品が別物になっちゃうかもしれないね。

    池田扶美代

    1979年モーリス・ベジャールのムードラ(ブリュッセル)に入学。同校でアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと出会い、1983年共にローザスを結成。2007年以降は自身の作品も創作。アラン・プラテルと共に創った「ナインフィンガー」イギリスの演出家ティム・エッチェルスと共に創った「in pieces」、ニューヨークの演劇グループ、ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマと「Life&Times Episode2」を発表。また、2013年にはダンサー、振付家の山田うんとのデュオ「amness」を発表。

    amness詳細 | http://amness.precog-jp.net

    岩城京子

    パフォーミングアーツ・ジャーナリスト。
    世界15国29都市で取材を行う。主な執筆先に、AERA、シアターガイド、新潮など。ローザス、ロメオ・カステルッチ、など来日公演プログラムへの寄稿も多数。ロンドン大学ゴールドスミス校演劇学部博士課程在籍。現在、東京とロンドンを拠点に和英両文で執筆活動を行う。

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