• 岡田利規 『地面と床』インタビュー (1/2)

    • 2013/07/30
    • インタビュー | 岩城京子

    岩城京子
    —— 昨晩(2013年5月22日)、『地面と床』の世界初演(ブリュッセル、テアター・ヴァリア)を拝見しました。まず真っ先に出てきた感想をお伝えすると、日本という場所ではなく日本という言葉を故郷として捉えようとしていることへの不思議な共感と違和感を覚えました。

    岡田利規
    それについての答えになるかもしれないことをいうと、たとえば僕は「日本っていう国が好きですか?」という質問をされたとしたら、それに答えるのがすごく難しい。好きじゃないかもしれない、とか思う。でも、日本語を操ったり、日本語をおもしろく使うのは絶対的に好きだってことは、絶対的にいえます。

    岩城
    —— 震災以後、日本語という言葉が亡びていく感覚が少なからずあるのでしょうか。

    岡田
    震災の起こる数年前に水村美苗さんの『日本語が亡びるとき——英語の世紀のなかで』(筑摩書房)という本を読んでたとき、まあ、そのときはそのときで面白く読んだんですけど、でもそんなに水村さんの持っている危機感にピンとはきていなかった。だけど震災以降、あの本に書かれていることのリアリティが自分のなかで増した。結局、政府とかがしっかりしていないと国なんて簡単に亡びるし、だから日本語の話者ってこれから減っていくんだろうな、って素朴に思うんですよね。そんな僕の危機感を今はまだ「そんなことねーよ」って一蹴する人のほうが多いかもしれないですけど、僕自身はどうしようもなくこの危機感を持ってしまっている。正直、このあたりのところが日本で上演されたときどういう受け止められかたするのかは、心配です。

    岩城
    ——『現在地』がアウタースペースの話だとしたら、本作はアナザーワールドの話です。「あの世」についての思考が生じたというのは、震災以後の日本の状況を鑑みると、当たり前すぎるほど納得のいく展開ですが、そのあたりのことを岡田さんの言葉で詳しく説明して下さい。

    岡田
    まず単純に言えることは、エステティック(美学的)な理由です。演劇という芸術表現を自分なりに追究しつづけていったら、幽霊を扱うことに自然と興味が出てきた。なぜなら僕の考えでは、幽霊と俳優は似ているから。たとえば僕ら生身の人間は、部屋に一人きりで居るときも、当たり前ですけど存在しています。だけど俳優とか幽霊は、共に人に見られることによってしか存在できない。演劇の作り手として、そこに興味が向いているということです。けれどももちろん、日本の状況に影響された結果死者について考えざるを得なかっているところだってあります。震災だけではなく、去年、自分の父が死んだという個人的な事情も影響していると思います。それで震災で亡くなった人という意味ではなく、もうずっと前に死んでいる人たち、これまで日本で亡くなった人たち全員の権利のようなものについて徐々に考えるようになっていきました。

    岩城
    —— クンステン・フェスティバルの当日配布パンフレットには「双方の利害関係の調整のために、もっと多大な<外交的努力>が払われるべきではないか」」と書かれていた。字義的に捉えるとこれは妙なフレーズです。単純にどうしたら死んだ人間と利害交渉できるのか。そもそも死者は生者の経済システムの埒外にいる存在じゃないのか。少し抽象的な感覚なので説明を加えて頂けますか。

    岡田
    うーん、たとえば震災が起きたとき、すごく原発の被災地に近い場所にいるんだけど、そこに先祖のお墓があるという理由でその土地を離れないという選択をした人びとがいますよね。それを聞いて僕が思うのは、こういうことです。あなたは生きている、いっぽう、その先祖の人はもう死んでいるんだから、生きているあなたは安全なところに逃げたほうがいいんじゃないですか? でも、そう思ったあとに一拍置いて、自分の考えに対する「本当にそうか?」っていう疑問が湧いてくる。先祖のお墓を守るために放射性物質に汚染された場所に残る人びとのことを考えるのは、僕にとってわりと大事な命題なんです。正直、その人たちと同じような行動を取ることは僕には無理です。でも、彼らのことをナンセンスと断じてしまうのは絶対にいけない。それをナンセンスと考える心性は、たぶんいまわれわれが直面している事態の総体を生じさせた根源を形作った小さからぬ一要因であるだろうという気がしてるからです。つまり、死者の利益を軽視または無視しているという意味で。科学とか理性とかそういうものによって、僕らは死者を思うという智恵から隔てられ、そのことがもたらした不利益に分かっていながら苦しんでいる。死者の利益を勘定に入れないことには、祟りとかそういう意味ではなく、ごく現実的なしかたで、現世に不利益をもたらすと思う。僕にはどこか、ご先祖を敬えば原発はなくなる、と思っているところがあります。「風が吹けば桶屋が儲かる」より飛躍した論理に、われながら聞こえますけどね。

    岩城
    —— 能舞台を模した舞台美術を採用されたのは、幽霊について書きたいと思われたことから派生しているのでしょうか。

    岡田
    能舞台のセットは、他のあらゆるものと絡み合って有機的にシンクロして出てきたアイデアです。一昨年、クンステンのディレクターのクリストフ(スラグミュルダー)と共同制作に向けての最初の打合せをしていたとき、彼が「ミュージシャンと一緒に仕事をしたらどうか」というサジェスチョンをくれました。僕もそれは面白いなと思って、それでミュージシャンとコラボするという思考を深めたとき、能のことが浮かんできた。それでそのとき「コンテンポラリー能」という言葉が出てきたりもしました。だから能のようなミュージカル・シアターを作ろうと考えた末にこういうストーリーが生まれてきたとも言えるし、物語の萌芽はすでにあってそれで能のアイデアが出てきたとも言える。

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