• 平成二十五年十月二十八日

    • From : Athene

    ベルリンを発つ日の朝、ルー・リードの訃報にふれる。よりによってベルリンという、そういうタイトルのアルバムつくったこともあるくらいのかかわりが彼とそれなりにある街に、僕がいるときに……、という具合に感慨深くなってしまう。二十代前半の僕にはルー・リードの歌、ときにものすごくか弱いその歌詞は、たいせつな常備薬だった。昔話するけど十五年前の九八年にやったチェルフィッチュの第二回公演のタイトルは『帽子と人工衛星』というんですけど、この人工衛星ってのは、そうです、《Satelite of Love》からとってる。一昨年にでた、メタリカと一緒につくったアルバムだって、なにげに僕は聴いている。

    タクシーが九時にくる。それに乗ってテーゲル空港へ。エージアン航空のチェックインカウンターに並んでいるとき、照明家の大平が、「エージアン」って聞くとジュディ・オングが真っ先に浮かぶよね、といっていて、これは聞かなかった振りをしたいと思うも、確かに自分もそうだということは認めざるを得なかった。でも、今日は後生だからジュディ・オングじゃなく、ルー・リードで僕の頭の中を満たさせてください。ベルリンからアテネへの飛行所要時間は三時間。ドイツとギリシャは一時間の時差がある。アテネにきて、日本との時差はまた七時間になった。ここはベルリンよりずっとあたたかい。町並みも、そしてそこからどうしたって垣間見えてくる経済状況も、ドイツとあまりに違う。僕らは二年前もアテネ公演をした。緊縮財政が大問題になっていて、デモが頻発していて、暴動だって起こっているような時期に『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』をやった。今は暴動こそ起きていない。でもそれは状況がよくなっているからというわけではないのだとおもう。
    僕らが泊まるホテルは、ここアテネではなぜか、高級ホテル、インターコンチネンタルなのだった。なぜか、だなんていったけど、理由は僕らを呼んでくれている劇場オナシス・カルチュラル・センター(OCC)がインターコンチネンタルホテルと提携しているからだ。ホテルと劇場はとても近いのだけれども、この界隈には、特にほかになにがあるというわけでもない。レストランとか行きたければ、タクシー乗るしかない。移動日特有のどんよりした緩慢な疲れがあって、まあそれに加えてきのうおとといの遊び疲れもあるだろうけれど、とにかくタクシー乗ってどこかへ、みたいのが今日はどうにも億劫で、ホテルの中のレストランで済ませたくなる。鶏肉の串焼きが添えられたサラダとビールで二十七ユーロ……。ベルリンのホテルにはついてなかった浴槽がここにはあるので、ひさしぶりにお風呂で身体あたためて、二十時前にあっさり眠る。

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  • 平成二十五年十月二十九日

    • From : Athene

    旅の長さもあるかもしれないし、ベルリン公演をおえてほっとしたのもあるかもしれないが、ここアテネにきて、疲れてきているなあ俺、と感じだしてる。

    今日は劇場ではスタッフのみで仕込み。別に何をするというわけでもないのだけど、昼すぎに一応そこに顔を出すことにする。ホテルと劇場は一本の、交通量の多い幹線道路沿いにあって、歩いて五分かかるかかからないかといったくらいの距離。街にただようちょっとした臭気と、街路樹のにおいとを嗅ぐと、二年前もこの道を歩き、これとおんなじにおいを嗅いでいたことが、一気によみがえってくる。街路樹のにおいは、決していいにおいではない(だから「匂い」とは書けない)。あれはなんという樹なんだろう。栗の花なんかと似た系統の、つまりともすれば性的ともいえるような、濃いにおいを発する。劇場に行ったのは、まあ、ランチを食べにいったようなものだった。この近くには食堂がまるで見当たらないから。劇場内には、職員のためのグリーンルームがあって、そこを僕たちも利用することができて、パスタとかを安く食べられる。コーヒーなんかは、ただで飲める。お昼を食べたらホテルにもどって、今日は書き仕事もあまりはかどらず、総じて休みがちの一日をすごした。
    夕食は役者の青柳さんをさそってみた。今日はきのうと違い、タクシーに乗り、魚を食べに行った。彼女には来年以降のことで話しておきたいことがあったので、それを話せてよかった。しかし最近、役者といっしょにご飯食べたりすることが、めっきり少なくなってる。行動がほぼ完全に別々になっている。雑談なんかもほとんどしなくなってる。

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  • 平成二十五年十月三十日

    • From : Athene

    午前中は執筆。お昼過ぎに劇場のグリーンルームへいき、腹ごしらえして、午後からまずは例によって照明の合わせ。それから音響の調整。

    アテネ公演の開演時間は遅め、二十一時に設定されている。でも翌々日だけ、それとはうってかわってすごく早い時間、午前十一時からの、高校生がみにくる公演も予定されていた。でもふたつの高校から生徒がみにくることになっていた、そのうちのひとつの学校が交通の事情で(というのがどういうことなのか、いまいちよくわからないんだけど)来られなくなり、するとオーディエンスの高校生が二十人くらいになってしまうんだけどそれでもやってくれるか、と劇場から伺いを立てられる。話し合って、やることにする。でも二十人のために諸コストはかけられないということで、劇場の意向でこの朝公演、結局キャンセルになった。
    で、今夜の初日については、お客さん満員で、つつがなくおこなわれる。終演後、劇場内にあるラウンジスペースでの食事にカンパニー一同招待していただく。OCCのパフォーミング・アーツ部門のディレクター、カティアと話す。『地面と床』という芝居は、日本の国を出て行こうと考える、子供を身ごもった女がでてくる話なんだけど、現在のギリシャの観客としては国を出るっていうのは全然リアルな問題だと。そういえばパリでポルトガルのフェスティバルのディレクターと話したとき、その人もそう言っていた。ポルトガルは、若者は国を出たほうがいい、と公式な声明を首相が発表しているのだ。信じられないことだと彼は言っていたけど、嘘をつくより正直なぶんまだましなのでは、と日本国民である僕はそのとき思った。二年前とくらべてギリシャの状況はよくなってるわけじゃないんですよね? と尋ねたら、悪くなってる、とカティアは言っていた。ほとんどナチのような極右政党が現在、ギリシャの三番目に大きな勢力であるらしい。ギリシャは日本の未来かもしれない、とふと思う。考えてみれば、オリンピックだってわれわれに先駆けてやっている、といっても古代オリンピックのことじゃなくて、二〇〇四年のアテネオリンピック。それから今年で九年。ということは、まあ超単純な見立てだけれど、二〇一三年のアテネは未来の東京、二〇二九年の東京の姿かも。

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  • 平成二十五年十月三十一日

    • From : Athene

    おととい、サンガツの小泉さんからメールが来ていた。『地面と床』のCD化に向けて動いていて、サンプルができたからそのデータを送ってくれていた。ここ数日、それを聴いている。といっても劇場でいっつも聴いている音楽と、基本的にはおなじものだし、サウンドはいうまでもなく、劇場で聴くときのほうがずっといいんだけど。
    それでも、パソコン内蔵のスピーカーから流れてくる『地面と床』の音楽を、ホテルの部屋で、芝居とは無関係に聴くのは、まったく別種の体験でとてもおもしろい。この音楽はすごくドラマチックな流れを持っているけれど、芝居と切り離されたとたん、いったいそれがどういうドラマなのか、ということがオープンになって、それがめちゃめちゃ楽しい。

    昼過ぎ、カティアとミーティング。おととしの『ホットペッパー……』もみてくれているお客さんが多くて、前回のほうがおもしろかったという人もいるし、今回のほうが好きという人もいるし、といった彼女が受けとめた感触を聞く。自分の作品を複数見てくれている人たちがいる街は、演劇作家の僕にとって、ある特別な位置を占める。アテネもそのひとつになった。せっかくだから関係をもっと、続けたいし深めたい。
    ミーティングのあと、OCCの地下のギャラリーでやってる、クリスチャン・ボルタンスキーの《Eye》というインスタレーションをみにいく。幽霊系の作風の人って意味じゃ、今回の僕らとかぶってる。
    いくつかの裸電球がともっているだけの、薄暗い会場の中に、何枚もの大きな方形の白い布が、天井から吊られている。それらは格子状に組まれていて、だからそのなかに入っていった鑑賞者は、四方を布で取り囲まれた小さな部屋のなかにいるような感じになる。布のひとつひとつには人間の目が描かれている。昔の誰かのポートレート写真から転写したもの。会場には微風が吹いていて、布は風に揺れている。鑑賞者は、布の壁でできた小部屋から別の小部屋へと、ちょっとした迷路の中にいるような具合に、会場内を彷徨する。ボルタンスキーのインスタレーションは、醒めた態度のままで見ていたら、いつまでたってもつまらない。先方が提示してくるフィクションに、こっちも乗っかっていって、はじめて楽しむことができる。そういう意味で、フィクションを語る演劇と、似ていると思う。観客にもその気になる努力が要される。フィクションに乗っかりに行く、という営為を、あえてそんなことする必要ないだろバカバカしい、と考えるか、人類の叡智のひとつと考えるか。僕は後者の態度が正しいと考える昨今です。
    ついでに思ったこと書くと、フィクションってダンスミュージックになぞらえることもできるな。つまり、それに乗って踊ろうという気分に、なるかどうか。踊る側の、踊る阿呆になる叡智や知性や気合いと、踊らせる側の、それを促すテクや強さとの兼ね合いというか、共同作業。いいから踊れよ、お前はこれで踊るべきだよ、という一方的な態度は傲慢な話であって、たぶん良いDJというのは、そのことが骨身にしみてわかっている。
    さて、では今回のボルタンスキーは僕的にどうだったかというと、それに乗っかる阿呆になりたいとおもうことが、あんまり僕にはできなかった。
    展示を見終わると、ひとびとの心臓の音を採集するというボルタンスキーのプロジェクトがあるんだけど、あなたの心臓の音よかったらとらせてほしいので別室へ、と言われ、言われるままにそこにいく。心臓の音の採集というのは、瀬戸内の豊島にある、ボルタンスキーの常設インスタレーションのためのものだった。小さな無機質な部屋にいくと、それっぽく白衣着ている人がいる。医療用の立派めの椅子に座って、ヘッドホンをつけ、聴診器を自分の胸にあてると、ヘッドホンごしに自分の心臓の鼓動が聞こえる。すぐそばのラップトップ上でそれがデータ化されていく。録音はあっというまに終了。僕の心臓の音は番号を振られ、大学ノートのその番号が書かれた罫線内の横に、署名をする。その音はCDに焼かれて、それをおみやげにもらえた。
    ホテルにいったん戻る。いまギャラリーでもらってきた、この展示のために行われたボルタンスキーのインタビューの載ってる冊子を読む。豊島のプロジェクト《ハート・アーカイブ》のことにも触れられていた。で、ボルタンスキーのコメントに、ちょっとカチンときてしまった。だって「人が実際に豊島(みたいな辺境の地に、というニュアンスがある)にインスタレーション見に行くかどうかってことより、心臓の鼓動が集蔵されている島が実在している、という事実が自分としては肝心だ。なんだかお話のはじまり部分みたいだろ、『ジャポン諸島のなかの、とあるひとつの島。そこでは何千もの心臓が脈打っておりました』っていうさ」みたいに答えていたから。なんだいその豊島を扱うコンセプトの、エキゾチックさ丸出し具合はさ。俺はそんなのの片棒担いでしまったわけか、非国民のそしりもまぬかれえないよこれじゃ、と心臓の音採られたことを少し後悔。でも、おなじインタビューのなかで、あなたは自分の作品は政治的であるとお考えですか? という質問に、政治的な作品とはどういう意味なのかがわからん、と答えていたのはよろしいと思う。
    二十一時から『地面と床』アテネ公演二日目。冒頭、出ている字幕がどうみてもドイツ語だった。なぜにドイツ語? すぐにギリシャ語に切り替わったけれど、焦った焦った。終演後、アフタートーク。嫁と姑がいがみあうのってギリシャだと非常によくあること&よく用いられる題材だけど日本ではどうですか? って質問があっておもしろかった。(『地面と床』も、嫁と姑のいがみあってる話なんです。)

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  • 平成二十五年十一月一日

    • From : Athene

    疲れてしまっているのもあって、積極的にアテネの街を見ようと思うことができず、インターコンチネンタルホテルの充実の朝食ビュッフェを食べたあとの日中は、ホテルの部屋ですごしてしまう。
    午後から、劇場のグリーンルームで、来年のツアーのスタッフの陣容を調整するためのミーティング。三時間近くかかったけれど、だいぶ整理がつく。
    二十一時から『地面と床』アテネ公演三日目。今日も芝居の中盤で、字幕操作につかっているコンピューターが誤作動起こして字幕が勝手にものすごいスピードで先走ってしまうというトラブルがあった。ギリシャの字幕の神様のご機嫌をそこねるようなことしてるんだろうか、僕ら。

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  • 平成二十五年十一月二日

    • From : Athene

    十四時からワークショップ。地元の役者さんたちを対象に三時間。時間が短すぎたし、言語の問題もあったような気がするし、ワークショップ自体はうまくいったと言いがたいけれども、この伝わらなさを身をもって味わうことは、ほんとうに糧になる。
    二十一時から『地面と床』アテネ公演四日目。字幕トラブルはなし。ほっ。

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  • 平成二十五年十一月三日

    • From : Athene

    十一時からスカイプで、フェスティバル/トーキョーのディレクター、相馬千秋さんと話す。今月末から東京の池袋で『現在地』を公演する。フェスティバル/トーキョーへの参加作品として。その当日パンフレットに載せるための対談。そう、このツアーもあと一週間で終わり、日本に戻るのだ。もうすぐ日本に戻る、という実感がようやくリアルになってきたな。
    以前はたとえばレバノンのラビア・ムルエとか、イランのコヘスタニとか、そういうアーティストたちに対して、あの人たち過酷な政治体制の国で生きていて大変だよなあ、とある意味どこか他人事に思ってた。他人事ゆえの素朴なリスペクトを彼らに抱いていられた。それこそ、安心な僕ら、ってやつだったのだ。でも、最近が外国でニュースの情報を受け取るしかない日々であることも助長してるのかもしれないけど、なんかもうそういう悠長な他人事感、僕は持つことができなくなっている。でもまあそれはともかくとして、あと少しで僕らは日本に戻ります。
    二十一時から『地面と床』アテネ公演最終日。毎回満員のお客さんが来てくれた。あしたはフランスのトゥールーズへ。日本との時差がまた八時間に戻る。

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